· 

片栗粉の気持ち

何かわからない得体の知れないものは
得体が知れないから、何にでもなれます。

真っ白なただの粉は

雪にもなるし、砂糖にもなるし、
小麦粉にもなるし、エベレストにもなりました。

粉に水を足すと

お好み焼き粉にもなるし、
アイスクリームにもなるし、スライムにもなります。

そこに色を足すと、

海にもなるし、海藻にもなるし、
いちごソースをかけたクレープにもなります。

得体が知れないものだから、
それは何にだってなれるし、

正解も不正解もない、自由の塊です。

子どもたちの想像力は
鶏肉の唐揚げの下地として
八宝菜のトロミ付けとして、
きっとその命を燃やすものだ。

そう思い込んでいたであろう片栗粉に
無限の力と夢と可能性という命を吹き込んでくれました。

なんか片栗粉、嬉しそうだねー

ってゆうと

そうだねー

って子どもたちは笑います。

自分は何にだってなれるんだ!!

って、片栗粉もきっと、
びっくりしてたんじゃないかな

……………

→春休みの放課後等デイサービス
ル・クッカー内今月のGOKAN療育中の一コマです♩