療育ってなんやろ?


私が思う『療育』とは

 

先日、ある一人の保護者様よりこんなメッセージを頂きました。

 

『0歳から療育園とリハビリに通い、現在は1~2歳のクラスで療育を週3回うけています。

しかし、

障害のある子どもたちへの療育はこれが正解なのか?

もっと他にできることがあるのではないか?

毎回同じことのような繰り返しは効果があるのか?

 

と、他の保護者よく話しています。(後略)』

 

私も息子がまだ幼かったころ、メッセージをいただいたお母さまと同じ悩みを抱えていたことを思い出しました。

 

本当にこのリハビリが彼にとってのベストなんだろうか?

毎日の彼との遊び方はこれでいいのだろうか?

もっと他にするべきことがあるのではないのだろうか?

 

毎日繰り返される何気ない日常。

毎朝日が昇るたび心悩ませ、焦りを感じながらも

夫にも話せず、一人で抱え込んでいたあの日の私の事を。

 

 

 

 

 


■『療育』…心身に障害を持つ児童に対して、社会人として自立できるように医療と教育をバランスを保ちながら並行して進める事。(日本大百科全書より)

・・・・・・・・

んー。

分かったような、わからないような…。(笑)

 

ということは、おそらく

一言で語れるものでもなければ、その人それぞれ、その人の中にある価値観やイメージによって

ニュアンスやカラーは変わってくるものなのかもしれませんね。

 

 

となれば尚更『療育』って何なんでしょう?

そもそも『療育』は受けないといけないものなのでしょうか?

 

 

 

今回は私自身が感じるの『療育』の観点について、少しお話させていただきます。

 

 

■すべては経験から得ることしかできない。

 

私が息子(脳性麻痺17歳男子)と関わる中でいつも彼に伝えている言葉があります。

 

それは

まずやってみな』

という事。

 

悩んだり、迷ったりしている暇があったらとりあえずやってみたら?、と。

 

私たちは想像している間、目に見えない不安や恐怖がどんどんやってくるのです

 

そして、その不安や恐怖を打ち消すために、

それをどうやっつけるのか、どう対処するのかを考えては心を悩ませます。

 

不安は不安を呼び、いつまでたっても自分にGOサインが出せません。

 

そしてやがては、考えることに疲れ諦めてしまいます。

 

 

本当はまだ何も始まっていないのに。


■諦めるほうが簡単

 

やるのかやらないのか。

 

選択を迫られたとき、どちらかといえば諦める事のほうが簡単です。

だって諦めるってことは、『何もしない』って事でしょう?

 

『何もしない』と時間も労力も割かなくてすむ。

安全です。

だって何も変わらないんだから。

 

そう、今までと何一つ変わらない。

 

ただそれだけです。

 

 

 

だけど、だけど今を

・もっと良くしたい

・もっと豊かにしたい

・現状を変えてみたい

 

少しでもそう心が訴えているのであれば、何かやってください。

 

 

大切なことは、どこかに書いてるんじゃない。

大切なことは、みんな違うんだから。

大切なこと、それはまずやってみる事。

 

自身『体験すること』です。

 

やってみて初めてわかる

『楽しさ、嬉しさ、悦び』

 

それらの体験は、未来をつかむ心の栄養になり

 

『口惜しさ、悲しさ』

 

それらの経験は、自分らしく生きるための道しるべとなります。

 

子どもたちの表情や、親御さんご自身の心で感じた物。

そこから選択していけばいいんです。

 

・『楽しいな。喜んでるな。』⇒じゃあ続けよう!

・『んー、どうなの?違う気がするかな?』⇒よし、これじゃないってことね!

 

次に何を選択すべきなのかは、やってみて初めてわかるもの。

 

そう考えるとやってみて無駄なことなんて、ホントは一つもないんですね。

 

私自身も息子が小さかったころ、

リハビリ施設や療育など、いいと聞けば様々な場所へ足を運び、肌で感じ、息子と体験してきました。

 

迷っているときって、しんどいですよね。

 

でもそうしてようやく、自分でも納得いくリハビリ方法や、

療育(GOKAN療育プログラムの考案)に辿りつく事が出来たと思っています。

 

 

 

 

子どもたちや、出会った皆さんから何かをやるか否か『悩んでいる』

と相談を受けた場合、私はこう伝えます。

 

「考えていてもわからないですし、まずはやってみませんか?」

 

何事もまずは自身で見て、体験することが一番ですから。

 

そこで感じた物を一緒に整理してゆくのが一番の近道だと思うのです。

 

 

 

それから、もう一つお伝えしたい大切なことがあります。

それは

 

『今までやってきたことに、間違いなんて一つもない。』

ということです。

 

もしも後悔していることがあったとしても

悔やむ必要なんて何処にもありません。

 

 

その時の経験があったから、次に進めることだって沢山沢山あるんだから!

 

大切なことは今迄ではない。

今からなのです!

 

 


■『療育』とは感情を育むこと。

 

好き。嫌い。

楽しい。怖い。

気持ちいい。気持ち悪い。

面白い。退屈。

得意。苦手。

 

私たちには色々な感情があります。

 

感情は次の行動を決めたり、様々な選択をしてゆくうえで切っても切れないものです。

 

ではこの感情はどこから生まれるのでしょうか?

 

さっきから出てますね(笑)

そう、それぞれの『体験や経験』から生まれてきます。

 

もちろん感覚過敏や感覚鈍麻など、もともと持って生まれた感覚の偏りをもつ子どもたちもいます。

しかしその偏りも、その後の関わり方で大きく改善される可能性もあるのです。

 

 

『楽しい!』『面白い!』『ワクワクする!』すべてはそこから。

 

 

出来なかった口惜しさ。

知らなかった悲しさ。

 

そこから

 

 

出来なかったことができるようになった。

知らなかったことがわかるようになった。

 

 

そんな経験の積み重ねが子どもたちの心をつくるのです。

 

 

自分の想いに共感してくれる大人がいる。

同じ目線で関わってくれる大人がいる。

いつもほめてくれる大人がいる。

 

それがママやパパ、そしてそうでなくてもいいんです。

誰か一人でいい、そんな大人が障害を持つ子どもたちの近くにいる。

 

あるがままの自分を見つめ、認めてくれる大人の存在は

子どもたちにとっての大切な安産基地です。

 

経験・体験、そして安全基地がある子供は強くなれます!

 

 

療育の先にあるもの。

それは未来だと私は思います。

 

受け身じゃない。

自分の未来を思い描き、自らの手でつかみに行く

自分を信じ、自分で未来を手にしようとするチャレンジ精神。

 

それを育むもの。基盤を作るも=『療育』

 

『療育』とは、子どもたちが自分らしい人生を選択し、歩んで行く土台作りだと私は考えます。

 

 

■療育は受けるべきか否か

 

私自身の考えとしては、療育は受けたほうがいい。

そうおもいます。

 

なぜなら子どもたち可能性は無限だからです。

それはドクターでも決して決めつけられるものではないからです。

 

もちろん、お母さま、お父様の目で見て、ここと思う療育を選んであげてくださいね。

(中には療育とうたいながらも、まったく内容が伴わないものもあるのです。)

 

 

しっかりとした理念とプログラム。

そして子どもたちの気持ちに共感し、共に感じ共に喜ぶこと。

お母さまお父様の気持ちに寄り添い、同じ方向を見みて進んでゆく事。

 

プログラムを考案、進めていくうえで私が大切にしていることです。

 

これからも五感の刺激×楽しい!できた!やった!『体験・経験』とともに心を育む【GOKAN療育プログラム】を通して、

沢山の子どもたちとお母さま、お父様の『笑顔と未来』をお手伝いをさせて頂きたいと思います。

 

 

 

障害があっても、自分の未来は自分で選ぶんだ!

 

そんな未来に向かって。

 

 


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